毎年末に、みすず書房の読書アンケートがあり、その年に読んだ本の中から印象深かったものをあげています。
書籍化されていますが、ここでは私が書いた部分を一年遅れて転載しています。
みすず書房さん、おゆるしを!
東日本大震災と、13年間の“その後”を、南三陸町出身の研究者がつぶさに観察し記録している。そこにあるのは痛み。宮沢賢治、関東大震災、水俣、苦海浄土、アイヌモシリ、森崎和枝などとつながっていく痛み。震災前をも、そして被災地以外をも見据えないと気づかない「複合差別」の歴史が、ここにある。そして歴史は続いていく。
『母親になって後悔してる』というイスラエルの研究者による本が、2022年に出て話題になったが、日本でもおずおずと当事者たちが語り始めた。それをNHKの女性記者二人が丁寧に聞き取った。「母」にどれだけの役割を社会がおしつけてきたのか。「母」について語ることが、なぜこんなに重く窮屈にさせられてしまうのか。おずおずとしか語れないことにこそ、日本社会の歪みや閉塞性が示されている。
母親だけでなく、幼い子と共に生きる人たちみんなに開かれた月刊誌。執筆陣が素晴らしく、社会的なテーマが多く、風通しがいい。イラストもデザインも紙質も色も毎号すてき。私も10年ほど前に連載させていただき、『ははがうまれる』が生まれた。残念ながら2025年3月に休刊になるそうだが、早くリニューアルして戻ってきてほしい。子育て真っ最中の男性の友人が、『親の友』にすればいいのではと言っていた。いかがでしょう。
The Politics of Artists in War Zones
Kit Messham-Muir, Uroš Cvoro , Monika Lukowska-Appel (Editor)
Bloomsbury Visual Arts
2023
この秋、ボスニア・ヘルツエゴビナに2週間ほど滞在した。約30年前には旧ユーゴスラビア紛争で戦火のまっただ中にあった。サラエボで『紛争後社会におけるアート』というワークショップに参加し、環状島についてのレクチャーもしたら、直感的にすぐ理解してもらえた。難民や避難民だったアーティストや研究者も多いからか。ワークショップの主催者たちが執筆・編集したこの本は、現代における戦争とアートのあり方について考えさせられることばかりだった。
今年、日本園芸療法学会で講演を頼まれて神戸まで行ったのだが、その時にもお勧めした本。私自身は庭仕事をしないのだが、昔、庭師をしていたというスクールソーシャルワークの草分けの山下英三郎さんから教えていただいた。種を蒔く、芽が出る、根を張る、すくすく育つ、蕾がふくらむ、花開く。園芸や植物にまつわる言葉は、人生のメタファーにもなる。私も種でも買ってこようかな。学会での発表によると、苗からより種から育てたほうが、メンタルな効果は抜群にいいらしいですよ。
日頃時間の余裕のなさと、数の多さが他者へのコンパッションを妨げるという。まさに今の時代だ。秋に来日した著者のワークショップに参加したが、その佇まいにも感動した。共感疲労をどう防ぐかに苦労しているので、個人的にもとても役に立った。
「激動の歴史」とか、「歴史に翻弄される」といっても薄っぺらく聞こえるが、その奥行きにしっかりと手が届いた本。歴史的な事実は知っていても、それらが個々の人生をどれだけ大きく変えるのか、私たちはあまりにも想像力が足りない。この本を読んでそう強く思う。
ヤングケアラーは自分を当事者として捉えづらいという記述に納得。語りが固定化されることへの躊躇。書けないことの多さ、そこに含まれている悲しみや苦しみ、そして豊かさにも共感する。
誰のペースやタイミングで物事が決まっていくのか。誰が急かされ、誰が待たされ続けるのか。立ち退きを迫られる人たちに寄り添いながら、時間をめぐる権力性を鮮やかに描いている。時間はけっして人間みんなに平等に与えられてはいない。
差別や偏見の強いテーマについて書こうとすると、ポリティカリー・コレクトになってしまいがちだが、著者自身がフィールドを熟知していることもあり、混乱や逸脱も含め、厚い記述になっている。文章も生き生きとしていて読みやすい。
おまけの一冊。
二宮敦人『最後の秘境東京藝大 天才たちのカオスな日常』(新潮社、2019年)登場人物みんな味わい深いけど、著者の妻が子どもの時、ルーヴル美術館の「サモトラケのニケ」の前で五時間以上立ち尽くしていたというエピソードが大好き。ずっと待っていたご家族、すてきです。
日頃気にせずに食べているものも、実はさまざまな工夫が施され、色や見かけを変えていたりする。味だけで食べ物を選んでいるように私たちは錯覚しがちだが、色や見かけによって売れ行きは全く変わる。だから消費者の選択は、着色料の使用はもちろんのこと、作物の育て方にも、スーパーでの商品の並べ方にも大きな影響を与えている、自然なオレンジ色も、自然なバター色もないのだということをつくづく思い知らされた。
多和田葉子や大江健三郎らの文学作品を題材に、トラウマと物語の関係について丁寧に読み解いている。副題に「クイア・フェミニズム批評の可能性」とあるとおり、文学の読み方は、さまざまなマイノリティに開かれている。それは作品に従来持たされてきた意味を逆転させるような、エキサイティングな試みでもある。
まさに、うたのしくみがわかる本。歌詞とメロディ、リズムなどの工夫や、それぞれの組み合わせが、聞く人にとってどのような効果を与えるのか。ユーミンやビートルズなどの聞き慣れた曲が、ああ、だからあんな情感を受けたのかとか、ああ、だから深く印象に残ったのかとか、腑に落ちる。そして、読んでからまたその曲を聞くと、まんまと乗せられていたのだなと思いつつ、でもそれもうれしかったりする。ユニゾンの持つ効果なども初めて知った。おしゃべりするように書かれた文体は、音楽への愛と情熱を読者に伝えたいという著者の思いにあふれている。
片岡真実・熊倉晴子・德山拓一
森美術館
2022
2022年6月から11月まで六本木ヒルズの森美術館で開催された『地球がまわる音を聴く』という展覧会の図録。美と傷について考えさせられる作品がたくさん。担当キュレーターの熊倉陽子さんが、環状島モデルを用いて展示作品の分析をしてくれていて、環状島の図も載っている。コロナのパンデミック以降、私たちは生き方や人とのつながり方、表現のしかたを再考させられ、それはアートとの向き合い方とも関わっている。
コロナ禍の行動制限の中、14ヶ月かけて読み通した。毎月のオンラインでの「時を失う読書会」があったから、なんとか最後まで行き着いたものの、何度挫折しそうになったことか。物質、記憶、感覚がないまぜになっていく記述の感じや、さまざまな別れをめぐっての内面描写が興味深かった。読書会の記録は『竹馬に乗って時を探す』という小冊子になっている。編集者の西子智さんと読書会のメンバーに感謝。
青森県八戸市を拠点に活躍し、2019年に亡くなった演出家・キュレーター・精神科医の豊島重之氏の評論集。疾走する文章が、美しい本の装幀によって包み込まれている。人が生まれて、生きて、亡くなるまでにどれほどのことをなしうるのか、どのような関係を周囲の人々とつむぎ、どのような影響を社会に残していくのか。青森県立美術館での東日本大震災10年企画展あかしtestamentsと、2021年12月19日のダンス+トーク・イベントに立ち会うことができたのは僥倖だった。
社会的養護を必要とする子どもたちへの支援において、子どもたちの声がいかに聞かれずにいるのか。しかもそれがなぜ「最善の利益」の名の下でしばしば正当化されてしまうのか。分析に、私のつくった環状島モデルをふんだんに使っていただいて、びっくりしたが光栄でもあった。支援現場だけでなく社会全体に子どもたちの声が届くよう、役立ってほしいと切に願う。
性暴力を受けた時、被害者が「なぜ逃げなかったのか」を問われることは多いし、被害者自身が「なぜ逃げられなかったのか」と自分を責めることも多い。けれど「逃げなかった」のではなく「逃げられなかったのだ」ということが、ようやく理解されつつある。特に、大阪高等検察庁検事の田中嘉寿子氏による論考は必読。
砂について興味を持ったことはなかったが、この本を読んで、砂をめぐる循環や流通・消費は、現代社会の骨格を形作っていることに気づかされた。ビルもダムも舗装された道路も、砂がなければできない。車中心の社会が成立するには舗装された道路が必要だし、道を舗装するにはコンクリートやアスファルトの元となる砂を道のすみずみまで運ぶ車が必要だ。そして電子機器にも特殊な砂が必要とされる。環境問題で水や大気について関心を持つ人は多いと思うが、海底から大量の砂が採掘されていること、砂浜が世界のあちこちで消えつつあることを知っている人はどれくらいいるのだろう。
触覚や皮膚がいかに重要かは、わかっていたつもりだったが、この本を読んでますますその思いを強くした。表皮を形成する細胞、ケラチノサイトには情報伝達物質や免疫物質、ホルモンを生み出す機能があるという。全身のケラチノサイトの数は約1000億で、それぞれがセンサー機能を持っている。脳神経系を中心に捉える人間観がくつがえされる。