毎年、月刊みすずの1・2月合併号で、その年に読んだ書物のうち、とくに興味をもったものをあげています。
ここでは、その読者アンケートを転載しています。みすず書房さん、おゆるしを!
「ギョッとするかもしれないけど」と言いつつ友人が勧めてくれた本。人間と動物との性愛について、ドイツのベルリンをフィールドに真摯な探究がなされている。既存の性規範やタブー意識にどれだけ縛られているか、どれだけそこから自由になれるか、読む側が試される。動物が性的存在でもあることを否定し、子ども扱いしてしまっていることなどに、私も気づかされた。ただ、インタビューでの当事者の語りは法的に許される範囲にとどまっているのだろうとも思う。著者自身が暴力的な性に晒されてきたため、本当の性とは何かを深く問いかけていった、というのは納得がいった。上間陽子さんの『海をあげる』(筑摩書房、2020年)も異なるアプローチだが、著者の渾身さが共通している。
自己啓発系のビジネス書だが、心理学的にもしっかりしている。セキュアベースとは、ジョン・ボウルビィとメアリー・エインスワースによる愛着理論からの言葉で、心の安全基地のことである。この本は、セキュアベースを自分が持つと同時に、リーダーとして一緒に働く人たちにセキュアベースを提供することの重要性を指摘している。それが、挑戦する意欲やエネルギーにつながるのだ。安心や安全をめぐる過去の経験や現存の人物だけではなく、「将来に目標をもつ」こともセキュアベースの一つになる、というのが面白かった。
失踪の当事者、失踪された家族、家族への支援者、それぞれへのインタビューをもとにした分析。失踪される側のつらさにも、失踪する側のやむにやまれる気持ちにも寄り添おうとする著者のスタンスは、好感が持てる。ただ、「家族からの自由」「家族への責任」など、議論が倫理の方向に進むのが少し窮屈だった。最終的には「応答責任」に話がいきつく。「いなくなる」ことよりも、「応答がない」ということの方が重大とされるのだなと思った。病的な遁走、記憶喪失などについては記述がないが、社会学だからいいのかな。
謎に惹かれて読み続ける。そして、予想外の闇が見えそうになった瞬間に終わる。18世紀の姦通裁判の記録をもとに、当時の村の世界を蘇らせようという試み。同僚である著者と、出版直後にたまたま電車で一緒になり、この本の話を聞き、気になっていのだが、時間が取れず、ようやく最近読むことができた。おもしろかった。残された資料だけでどこまで読み解けるのか。歴史学の醍醐味だろう。それにしても「姦通」というテーマはここまで、読者をひきつけるものなのか。
「触る」と「触れる」の違いから始まって、接触について、その場その場で生成する倫理を書いた本。拙著『トラウマにふれる:トラウマの身体論的転回』(金剛出版、2020年)との抱き合わせで、「『触れる』にふれる」と題したブックトークを2020年12月にゲンロンカフェにて行ったのだが、まさに「触発」される時間だった。「挑発」もされたかも。対象との距離がとれないとして、哲学的な思考において貶められてきた触覚や嗅覚・味覚。身体をめぐる欲望や傷つきについて、あらためて考えたい。
スマトラ沖地震による津波に呑みこまれ、幼い息子さん二人と夫と両親を亡くし、一人だけ生き残ってしまった女性の手記です。スリランカ出身の研究者でもあります。読むのが苦しくもあるのだけれど、おそろしく美しく、かつ正確無比に、喪失の悲劇的な経験が描かれている作品でした。
混乱。希望を持ってはいけないという思い。後悔や自責。怒りや恨み。回避と追慕。ふいによみがえる詳細な記憶と、それに伴う激しい感情や思い。周囲とのあつれき。支えてくれる人たちとの関係。慣れ親しんだ場所や風景に触れることの苦しみと喜び。…もちろん、喜びは、かなり時間が経ってからのものだけど。
セラピーを受ける中で、書くことを勧められたそうで、8年ほど経って手記として出版されたそうです。分析してしまうと、ありきたりに聞こえるかもしれないけれど、時間の流れの中で「喪失」という経験がどう変容していくのかが、全感覚を用いて描かれています。亡くなった息子さんたちも彼女の中で成長し、物を見たり、声をあげたり、思考を深めたりしています。
配偶者を亡くした後の埋めようもない喪失が「きのこ狩り」によって慰撫される経験を描いた人類学者による『きのこのなぐさめ』(ロン・リット・ウーン著、枇谷玲子・中村冬美訳、みすず書房、2019年)も味わい深いです。
精神科医、故・安克昌さんをモデルにしたテレビドラマが、2020年、阪神淡路大震災の25周年記念で、NHKで放映されます。阪神淡路大震災の頃、神戸大学医学部に勤務していた安さんの、この震災をめぐる手記は、人々の心を揺さぶり、サントリー学芸賞も受賞しました。安さんは2000年に亡くなったけれど、東日本大震災の後には増補版が出て、さらに読み継がれました。そして、今回、ドラマ化を機にさらなる増補がなされ、新たな読者を得ます。波がつぎの波を呼び、良い仕事はまた良い仕事に引き継がれていくことを、素直に喜びたいです。
『海を撃つ』(安東量子、みすず書房、2019年)も装丁が綺麗(私が、海が好きなだけかもしれませんが。いやいやそうじゃない)。福島県いわき市在住の女性が、東日本大震災以降のさまざまな経験や思いを綴っています。大所高所から政策を考えることは大事だけれど、そのときにどれほど生活に密着してものごとを考えられるのか、人々の痛みを感じ取り、それをやわらげたいと本気で思えるのかが、これからの社会のあり方を左右するように思います。
佐々木健一さんの、感性とは何かを定義する文章(『日本的感性―触覚とずらしの構造』中公新書、2010年)に惹かれて、この本を読もうとしたら、品切れになっていたので、この春、友達に借りて読んでいました。ちょうどその頃、中公新書の編集者にお会いしてその話をしたら、今増補版を作っているところなんですよと、びっくりした顔をして教えてくれました。おかげで、オリジナル版と増補版を読み比べるという贅沢もでき、増補にあたっての力の入れ具合もよく味わえました。「美が何のために存在するのか」(p233)を、さらに多様な人たちが語れるようになっていくための基本書となりそうです。
装丁というと、『TANKURI:創造性を撃つ』(中村恭子・郡司ペギオ幸夫、水声社、2018年)も綺麗でした。もちろん装丁だけじゃなくて中身もいいですよ。
今年の来日を機会に、アーノルド・ミンデルの『24時間の明晰夢』を久々に読み直しました。月の明るい部分だけでなく、暗い部分をも見ることが、アボリジニのドリーミングなのだということを再確認しました。ここ数年、月の暗い部分ばかりを見ようとしていたかな、という反省もしつつ。月の明るい部分、つまり明示化されたり、言語された内容そのものも、ちゃんと見なきゃね。でも、語られることなんて、やっぱりごくわずかなんですけどね。『紛争の心理学』もぜひ、復刊してほしいです。授業にも使ってきたので。保苅実の『ラディカルオーラルヒストリー』も読み直したくなってきました。
もう一人、今年来日したジェイミー・グリーンの『ジェネリック』。昔はゾロと言われて、低く見られていた後発薬。でも最近は、ジェネリックを使わないと悪徳医者のように思われてしまうこともあります。そのどちらも両極端な見方なのだということがよくわかります。アーサー・クラインマンやバイロン・グッド、メリージョー・グッドなど共通の師匠のもとで研究者として育ち、医学と人文社会系の交差する地点に立ち続けるという意味で、大切な仲間です。
メグ・ジェイ『逆境に生きる子たち』もよかったです。原題のSupernormalのままの方が、メッセージは伝わりやすかったと思うけど。逆境体験を生き抜くレジリアンスという単純な話ではなく、秘密を抱え、時には自他を守るための嘘をつきながら、生き延びていかざるを得ない子どもたち。だからこそたどり着いた「スーパーノーマル」。すぐ隣にいるほがらかな人だって、どんな苦しい経験を経てきた人かわかりません。全ての人々に敬意を払いたいです。
以前から注目しているHSP(Highly sensitive person)。その対人関係バージョンですが、HSPかどうかだけでなく、HSS(Highly sensation seeking)刺激追求型かどうかに下位分類したところがこの本の特徴。とくに親密な関係の中での自分の特性や、相手との相性や付き合い方が分析できます。タイトルは軽く見えますが、内容はしっかりした本。HSPだけどHSSな私も、色々思い当たることがありました。まあ、類型化からはずれることもありますけどね。『やわらかな言葉と体のレッスン』の尹雄大さんもHSPかな。しなやかな感覚が、言葉と心と体のすみずみに広がっていきます。
山崎朋子『サンダカン八番娼館』。中学校の頃に読んで衝撃を受けた本。今の私の仕事の原点の一つは、ひょっとしたらその読書体験だったのかもと思います。フィールドワークやオーラルヒストリーの古典。『サンダカンまで』も読みました。自らも傷を負いつつ「底辺女性史」を切り開いた山崎朋子さんという先達の軌跡を、一度丁寧にたどり直してみたいと思いました。フィールドワークというと、リチャード・ロイド・パリー『津波の霊たち』も興味深かったです。幽霊、亡霊、声を出せない存在としての死者。つながりたいと切に願った人達だけに見える、聞こえるものもあります。田中雅一・松嶋健編『トラウマを生きる』もまだ読破してませんが、聞こうとする姿勢の重要さを示していますね。
圧倒的な取材量。つっこむところはちゃんとつっこみつつも、取材対象者や周囲への敬意と配慮にあふれている。一般の精神医学専門家や心理学専門家より、よほど人間のこころや行動の複雑さを深いところから理解しているように思う。堀川さんとの対談が、来年の「そだちの科学」に載る予定です。お楽しみに。
著名な精神科医の中井久夫の著作について、さまざまな領域の人たちが論じている。精神医学や心理学のみならず、人文社会科学系の研究者、編集者など多彩な顔ぶれで、いずれも中井への愛にあふれている。中井の膨大な著作をどう解読するのか、ヒントがいっぱい。寄稿のほか、著作目録や対談再録などの「コレクション」で構成されている。
著者の第一詩集。言葉がていねいに深く、届いていく。喪失と僥倖、躊躇と逡巡。そういったことをめぐる、言葉にならないような時間と空間に。
これも詩集。「もうすぐ聞こえるから 黙っておいて」・・・なんという的確な表現。言葉の選び方、並び方、すべてが必然に思えて、貴重な一冊。触発される。表紙も美しい。
熟達したジェンダー研究者たちを、若手のジェンダー研究者たちが、さまざまな角度からインタビューするというもの。日本現代史と個人史が、世代間の対話によって、立体的に浮き彫りになる。同時代を生きる研究者たちの生の『厚い記述』がここにある。
オセアニア、南太平洋の島々。楽園のような風景にひそむ様々な暴力の傷跡。ヨーロッパによる侵略の歴史への厳しい視線を維持しつつ、海をわたって行き来する人間の歴史的な営みを、詩的に描いている。夜の9時過ぎまで明るく、また、一日でも目まぐるしく天気が変わり、風や雲の流れが鮮烈に感じられるアオテアロアの土地で,この本を読めたのは僥倖。
東日本大震災の直前におきたカンタベリー大地震の爪痕は、今も生々しくクライストチャーチに残っている。大地震を大英帝国の歴史の亀裂ととらえ、エコロジカルな側面も含めて、復興の行方を分析する歴史家の仕事がこの本である。災害に社会がどう向きあうかをグローバルに捉える上で役立つとともに、東日本大震災とその復興を相対化して見る視点も与えてくれる。カンタベリー大地震の後の、街の復興に関わったNPO団体へのインタビュー集 “Holding hope together” Council of social services in Christchurch 2014も興味深かった。
ティーンエイジャーの時に複数の警察官から性的暴行をうけたルイーズ・ニコラス。その後,法廷でも二次被害を受け続け、加害者は無罪放免。うやむやにされていた事件は、熱意あるジャーナリストによって掘り起こされるが、その後も波乱万丈の展開をみせる。現在は、彼女の名前を冠したコースがニュージーランドの警察官の研修に組み入れられているが、そこまでの道のりは長かった。被害者バッシングや、警察内部での調査の難しさ、刑事司法の問題点などは日本にも共通するものがあり、参考になる。ニュージーランドでは有名な事件で、映画化もされている。
ICU(集中治療室)の医師による、機知にとんだエッセイ。飛行機の中で急病人を救った話や、臓器移植のドラマティックな展開など、医療の光の部分も見せつつ、肥満の急激な増大、高齢化がもたらす苦悩などについても、現場ならでは描写と分析がなされている。臓器の解剖学的な説明や、具体的な介入技法なども細かく書かれているのだが、そこに人間の身体への敬意があふれていて、共感を覚えた。
これも医師によるエッセイ。ニュージーランドはイギリスと同様,公的医療システムが機能を果たしているが、ネオリベラリズムの波もおしよせている。どちらにおいても、医師は効率よく多くの患者を診ることが求められる被雇用者でしかなくなりつつある。貧困層の若者を主に診てきた著者はその流れに疲れ果て、週3日を医師として働き、あと週2日はボランティアとして,同じコミュニティで働くことにする。一緒に料理をしたりしながら、丁寧に若者達と向きあっていく中で、詩人でもある著者は仕事への喜びを取り戻していく。
あいまいな喪失とトラウマからの回復ー家族とコミュニティのレジリエンス
ポーリン・ボス著
中島聡美・石井千賀子訳
誠信書房
2015
(=Boss, P.(2006)Loss, trauma, and resilience: therapeutic work with ambiguous loss. W. W. Norton & Company)
あいまいな喪失とは、たとえば津波で家族が行方不明というような状況のことを言う。現在進行形の困難や、終わりの見えないトラウマ的状況のなかで、人はどうやって生活を営み続けられるのか。また、そういう人たちをどうやってサポートし続けられるのか。そのための知恵がこの本にはたくさん詰まっている。
詩とは何なのか。詩はなぜ恥ずかしいのか。詩的思考や詩的表現がなぜ大切なのか。さまざまな領域のさまざまな文体を読みこなしていかなければならない仕事のなかで、しばしば激しく渇きを感じ、けれど思いがけず潤されたり癒されたりすることもある。言葉の豊かさを味わい、かみしめることの喜びに改めて気づく。それは次の、伝達にもつながっていく。著者の文章自体が平明でありながら、とても美しい。
西洋医学は、死なないけれども治らない病気を苦手としている。医師である著者は、そういう病気をかかえた患者さんたちの前で困り果て、自己免疫疾患を専門にしつつも、漢方医学の研鑽の旅へと乗り出した。著者が見出したのは、慢性疾患との付き合いのなかでは時間を味方につけるのが重要であるということと、漢方は臨床における作法である、ということである。長期的な時間軸を見据えたスケールの大きな治療論と、触診などを重視した細やかな臨床技術が不思議に溶け合って、これからの医療のあり方を指し示してくれている。
グローバル化がどれだけ進んでも、世界のあちこちには、あちこちのままの生活文化や風景が広がっている。人々は、全く異なる食べ物を食べ、異なる言葉を話し、異なる空間感覚や時間のなかで生きている。旅人は、そのなかに入り込み、行き惑い、あわてたり、びっくりしたり、ほっとしたりする。現地の人々もまた、旅人を迎え入れ、とまどったり、怒ったり、楽しんだりする。ひとつひとつのエピソードがとても印象的で、興味深い。自分の常識がくつがえされ、五感がめざめさせられるような旅にまた出かけたくなる。
Coming of Age on Zoloft: How Antidepressants Cheered Us Up, Let Us Down, and Changed Who We Are
Katherine Sharpe
Harper Perennial
2012
アメリカで親元から離れ大学に入って、精神的バランスを崩し、そのときに抗うつ剤を処方され、長く服用し続けてきた女性が書いた本。アメリカ社会がどのように人々に明るく陽気でいることを求めているか、抗うつ剤の功罪も絡め、バランスよく書かれている。
原題は、Quiet(静けさ)。内向性と内省性、高反応、単独性など少しずつ異なる軸が、最終的には内向/外向の二分法に分けられてしまうのが気になるが、偽外向型にとっては慰められ、癒される本。これも本人の経験がベースになっている。
今年初めてお会いする機会があり、治療者のたたずまいが人をいかに癒すかということを悟った。その上で本書を読み直してみると、阪神淡路大震災の後、著者が神戸大学精神科にボランティアにいき、状況に圧倒されつつ行ったことが、医局で温かい鍋を用意することだったということの意味が深く理解できた。心を鎮めたり落ち着かせたり、時には引き上げたりすることは、要するに、脳の調律であり心身の調律であり、関係の調律である。
長年にわたる大学でのヒューマン・セクソロジーの講義経験をもとに、攻撃的とされる男性の性の陰に、多くの男子が自分の性についてネガティヴな意識を持っていることや、男子・男性は「性の学びから阻害され、放置放任され、その結果孤立し傷つけ、傷つけられてきた」こと、男性が変われば「関係」は変わっていくことがきわめて説得的に書かれている。
丁寧な取材により当事者とつながりながら、ひきこもりという日本社会の抱える大きな、かつ長期化する問題についてビビッドに描いている。
こちらも、日仏共同研究の成果で、興味深い。
1985年から1995年の10年間、著者は、女性の言葉を拾い続けてきた。それらは今読んでも瑞々しく、より新しい感さえある。女性たちが言葉の力を奪われていかないように、ぜひ次の世代へこれらの言葉が伝わっていってほしい。
1985年から1995年の10年間、著者は、女性の言葉を拾い続けてきた。それらは今読んでも瑞々しく、より新しい感さえある。女性たちが言葉の力を奪われていかないように、ぜひ次の世代へこれらの言葉が伝わっていってほしい。
本棚を眺めていたら目が合って久しぶりに取り出した。心身についてホーリスティックに扱うこのような良書があったのだ、と思う。大量の新刊本の流れの中に埋もれず、読み継がれていくべきものが残っていくことを願う。
From trauma through dissociation to psychosis; understanding and treating psychotic symptoms from a trauma/ dissociation perspective
Andrew Moskowitz
ESTSS (European Society for Traumatic Stress Studies)でのワークショップ。トラウマと解離について理解を深めるのにとても役立ちました。著者名で検索してみてください。
Preliminary evidence for neurobiological consequences of exposure to childhood maltreatment on regional brain development
Martin H. Teicher
日本心理学会での公開講演。トラウマと解離について理解を深めるのにとても役立ちました。著者名で検索してみてください。
脳科学の知見が臨床現場でどういう意味をもちうるのかを示していて、よいです。
養生本としては、こちら。体調を整えるのに役立ちます。壁を利用するので、無理な姿勢にならず、やさしいヨガです。こころなしか、身体が少しずつ変わってきたかも。男性には、少しつらい姿勢もあるかな。同じ著者の『リラックスお家ヨガプログラム』もありますが、そちらはイマイチ。
ほかに、津田篤太郎/森まゆみ『未来の漢方』、神田橋條治『精神科養生のコツ』もいいです。
養生本として、おすすめ。
養生本として、おすすめ。
ごぞんじ、このアンケート特集。その年の新刊書じゃなくていいところが魅力。形式が決まっていないので、書き手の個性が豊か。その時々の心情を吐露したものや、自己宣伝に近いもの、自分の好みというより自分の領域で読んでほしいものの紹介など、さまざま。この人がこの著者を勧めていたのか、といった、隠れた精神的系譜も見えてきます。
イエス・キリストとブッダが立川で貧乏共同生活を送る『聖(セイント)おにいさん』もおもしろいです。
眼が疲れやすいこともあって、あまり本を読めていません。でも新書『トラウマ』執筆のため、いろんな本を読み返すことになりました。やっぱりすごいと思ったのは、『心的外傷と回復 増補版』、『解離ー若年期における病理と治療』、『トラウマの心理学ー心の傷と向きあう方法』などです。サリバンも読み込みたかったけど、時間切れでした。
執筆しながら、社会脳とトラウマ(特に関係性トラウマ)との関わりにひきこまれました。『共感の時代へー動物行動学が教えてくれること』、『SQ 生きかたの知能指数ーほんとうの「頭の良さ」とは何か』などが入門書的に役に立ちましたが、もっといい本が出ていると思います。誰か教えてください。
ノンフィクションは『困ってるひと』、『原発危機と「東大話法」』、『日本を降りる若者たち』などが興味深かったです。雑誌『風の旅人』が復刊したのは朗報です。
番外、まんが。『プ〜ねこ』。ゆるみます。西炯子も、笑いのつぼにはまりました。
2011年は大変な年でした。新刊にはほとんど気持ちが動きませんでした(と言いつつ、自分も書いてしまいましたが・・・)。
2月に父が亡くなる前後に、看取りや葬式関連の本を山ほど読みました。そのうちのひとつ、『冠婚葬祭のひみつ』は、冠婚葬祭マニュアル本という、絶対書評にあげられない本たちを批評したユニークな本です。マニュアル本は既存のマニュアル本からの寄せ集めが多いそうです。なのに、それを参考にした読者によって、また現実が作られていくという皮肉。でも、出版5年後の今読むと、冠婚葬祭にも大きな変化がおしよせており、日本の社会や家族が大きな変動期にあることに、あらためて気づかされました。
震災後は、心のケア関係の本がたくさん出ましたが、故・安克昌さん『【増補改訂版】心の傷を癒すということ』を、あえてお勧めしたいです。阪神大震災と東日本大震災とは違うと言われるけれど、心の傷に寄り添う営みの原点は変わりません。
夏は、現実から少し逃避したくて、軽いフィクション本しか読めませんでした。息抜きに良かったのが、三浦しをんの青春小説『風が強く吹いている』。非現実的ではあるけど、気持ちが軽くなり、風上に向かって走り出したくなりました。上橋菜穂子【獣の奏者』シリーズ(講談社2006, 2009)は、ファンタジーの世界に逃げようと読み始めましたが、王獣や闘蛇が核兵器のメタファーのようにも思えて、人間の深い業が作り出す現実のいびつな世界を映し出しているようで、深く受け止めることになりました。
秋は、たまっていた疲れをほぐしたくて、佐々木倫子『動物のお医者さん』を本棚から取り出し、笑い転げました。もはや日本の古典的文学遺産です。ついでに、自動相談所を舞台にしたTVドラマ「ドン・キホーテ」も、ラテン系のノリでおもしろかったです。ユーモアはだいじです。
冬、ようやく専門書を読むエネルギーが戻ってきました。楽しかったのが、酒井明夫『逸脱の精神史』。酒、魔女狩り、恋愛、不眠、自殺、老い、精神療法など、興味深いテーマが並んでいます。さらっとした文体の中に、ものすごく重厚な歴史知識と解釈がつまっています。その上、ところどころクスッと笑えます。岩手での震災後の心のケアで大変だと思いますが、こういう時こそ、長い時間的視野が求められていると思うので、続編を期待したいです。